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1/31 (fri) 坂田明、中島吏英duo「音になる」
01/31・18:30 〜19:00
イベント ナビゲーション
坂田明
中島吏英
◇ OPEN 18:30 / START 19:00
◇ adv. 3000yen+1drink / door. 3500yen+1drink
【坂田明 中島吏英のパフォーマンスについて】
まあ、中島吏英の作品は基本的に彫刻作品であるという事だ。彫刻というと日本では古くからお地蔵さんを含めた仏像などが多い
し、木造建築の欄間にみられるような彫り物をいうところが一般的な認識である。しかしながらどっこい、芸術という表現が起こ
る前、つまり文明発生以前の社会の中でも優れた表現行為はあった。洞窟画やら地上絵やら岩に描かれた絵やら、この国でいうな
ら縄文時代のものは非常に優れた遺跡遺物がある。その時代には職業が分化していなかったから、だれそれの作品とは言わなかっ
ただけだ。縄文のビーナスなどは狩猟採集の生活の中でしか生まれえない。自然とともにくらし、衣食住のすべてを自然から受け
取るわけであるから、当然、自然に対し畏怖の念をもって生活してきた人々の祈りを伴ったもの(作品)である。
西洋文化が濁流のように列島に流入したきた明治になってからは、人物の銅像や人間の裸体像など、人間中心主義の影響の強い作
品が生まれてきた。
概ね私が学校で習った彫刻というものは(適当で申し訳ないが)それに加えて、飛鳥美術とか、運慶快慶、左甚五郎、ミケランジェ
ロだロダンだ高村光太郎といった名前が出るぐらい。ま、そんなものであろう。しかし、ここにきて美術の世界ではインスタレー
ションや映像によるアートが出現し、今なお革命が起こっていると言っても過言ではない。その筆頭の一人が中島吏英である。私
は決して美術をよく知っているわけではないが、圧倒的なものには反応する人間である。
彼女の彫刻は、場所によって多少は違うが、基本は並べるというか、店を広げるというか、その場においての組み立て式である。
そして、本人も含めてものが動くし、音が出る。
「作品が音になる!!!」
「これはいったい何だ!?」といわれるものが出てきても、すべからく人間の表現行為である。そこを楽しめる心の広さはとりも
なおさず、心の豊かさのことである。
「音の出る彫刻があってもいいじゃないか!」
「動く彫刻があってもいいじゃないか!」
という岡本太郎流だ。
私はといえば、一緒に演奏したいと思う作家、アーティスト、ミュージシャンとなら誰とでもできる。もちろん相手側が受け入れ
てくれればではあるが、という、まこと節操のなさである。
そこで何が起こるのかといえば、良く分からない不思議な世界である。
それを楽しむことによって私たちは表現の新たな地平を感じ取り次の世界への扉を開くことになる。ご来場の皆様に芸術だのアー
トだの、と考えることなしに、ただただ、起きているすべてのことを「列車の窓から見える風景」と同じく楽しんでいただければ
と思います。
坂田明
坂田明(ミュージシャン/東京薬科大学生命科学部客員教授、広島大学大学院生物圏科学研究科客員教授)
1945年、広島県呉市出身、広島大学水産学科卒業。72年~79年山下洋輔トリオに参加、80年より「Wha ha ha」「SAKATA TRIO」結成して
ヨ-ロッパツア-を皮切りに独立。以後様々なグループの形成解体を繰り返しながら世界中をあちこちぐるぐるしながらあれこれして今日に至る。
現在「ARASHI」(ポール・ニルセンー・ラブ、ヨハン・バトリング)、「梵人譚」(ジム・オルーク、ジョバンニ・デ・ドメニコ、山本達久)、
「渡来塵」(黒田京子、水谷浩章)、「COCODA」(大森菜々、かわいしのぶ、坂田学)などのグループで活動、その他内外でのセッションは多数。
近著は「私説ミジンコ大全」CD「海」付(晶文社)。
中島吏英
なかじま りえ アーティスト。ロンドン在住。自作の電池モーターとファウンド・オブジェを組み合わせ、サイトスペシフィックに音を配置して
いくインスタレーション、パフォーマンスによって、サウンドアートとビジュアルアートの双方から注目されている。2013 年からデヴィッド・
トゥープと「Sculpture」プロジェクトを共に手がけ、ピエール・ベルトとの「Dead Plants and Living Objects」プロジェクト、山本景子とのバンド
「O YAMA O」、坂田明、 デヴィッド・カニンガムなど多くのミュージシャンとのコラボレーションを行う。